COLUMN会長のひとりごと

第1回 ー憧れのバルサー

「三菱ダイアモンドサッカー」や解説の岡野俊一郎さんのお話し、またはサッカーマガジンやイレブンと いう雑誌で仕入れる情報だけをたよりに、欧州サッカーを追っかけていました。

会長の中野です。自己紹介を兼ねて少し私とバルサとの関わりやPenyaに対する思いを何回かに 分けて書きたいと思います。
設立の挨拶で書かせていただいたように、小学生のサッカー小僧だった私が始めてバルサに触れた きっかけは74年。W杯西ドイツ大会でオレンジ軍団がサッカーに革命を起こし、そのリーダーである クライフの所属するチームがバルサだと知ってからです。
今の若いCULEの皆さんには大昔の話のように聞こえると思いますが、当時は情報もほとんどなく、 今のオヤジサッカーマンには伝説の“三菱ダイアモンドサッカー”(一週間に45分ハーフづつ観る (主にブンデスリーガ))や解説の岡野俊一郎さんのお話し、またはサッカーマガジンやイレブンと いう雑誌で仕入れる情報だけをたよりに、欧州サッカーを追っかけていました。距離感だけではない、 地球の裏側の別次元の世界でした。
それから約20年の時を経てサッカー小僧が社会人になり、たまたま勤めた会社の辞令により憧れの地、 バルセロナに転勤移住することになります。
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1992年5月。時はまさに私のアイドルだったクライフの率いる、 後に「ドリームチーム」(1990~1994年)と称されるようになるチームの全盛期です。
WEMBLEYで行われたヨーロピアンカップ(CLになる前)決勝(1992年)のクーマンのあの有名な ゴールが私とバルサ、そして後にペーニャを設立する事になるすべての始まりです。 バルサ初の欧州チャンピオンの栄冠。これがCULEだけでなく多くのカタルーニャ人の自信となり、 同じ年に開催されたバルセロナ五輪の成功とあわせ、それまで欧州地方都市のイメージだった バルセロナが一気に世界の一流都市の仲間入りをした年だと思います。
そしてここからバルサが本当の意味で世界のTOPに君臨するビッグクラブとして大きな一歩を歩み 始めた、まさにMas Que un Club元年!
となったのではないかと思っています。